日常の中で誠実であり続けたい。
人と話をするのは楽しくて、もし仮に人生最後の日がきたとしても、おそらく頭をよぎるのは、このたわい無くてだらない瞬間ばかりなんだと思う。
そんな日常を生きる僕たちですが、あなたは今、誠実に生きていると胸を張ることができますか?そして僕は誠実に生きているのだろうか。
そんなことをよく考える。
というのも最近、人と話をしているときに、魚の小骨がチクリと引っかかるような後悔をすることが多い。
この後悔の最たる原因は、「相手の話を聞けなかった」というもので、言葉にするととてもシンプルだけれども、恥ずかしながら僕は、ここ最近までこの感覚にすら気付くことができていなかったと思う。
相手と向き合う、自分と向き合う。
ここで言う「相手の話をきく」というのは、単に人が喋った声が、自分の耳にはいるという話ではなくて、きちんと相手の話に耳を傾けて0ベースで話を聞けているかということ。
相手が一生懸命話してくれた内容に対して、「その場合は〇〇しとけばいいよ」と、自分の経験から分かる答えを安易に投げかけてしまったり、頭の中で「あーこれはこのパターンだな」と勝手に答えをだして、空返事の聞いたふりや途中で口出しをしてしまったり。
きちんと話をきくと、自分の経験とはまったく違う内容だったかもしれないのに、なんとなくそれで話を聞いた気になってしまう。
思い返すとそんなことをどれだけやってきてしまったのだろう。
その度に相手と自分の心の中に、濁った澱が少しづつ溜まってゆく。
他にも、自分の価値観から逸れた内容や、専門外の話をされたときに、深く考えず突っぱねてしまったりと、相手が大切にしていることを蔑ろにして、無意識にマウンティングしてしまっているということもよくある。
これらは全て自分の弱さからきていて、その不甲斐なさに情けなくなる。
「誠実に生きたい」と口では簡単に言えるけれども、日常の些細な会話から、そういうものは伺えてしまう。
ただの日常が自分をつくっている
誠実さとは、「自分と他人に正直でいること」そして「自分と他人を蔑ろにしないこと」だと僕は思う。
それは日々の暮らしの中、ここで書いたような人との会話、あるいは仕事、様々なところで僕らは試される。
「誠実でいよう」と思うとき、自分の心や目立つ部分にばかり意識を向けてしまいがちだけれども、ほんとうは些細な日常の中で誠実であり続けることこそが、そういった誠実さを育てて行くのではないだろうか。
やっぱり誠実な人が好きだよ。
何気ない会話から大切に向き合っていきたい。